サハジ・マルグ

(自然の道)

の修行方法

 

 

Practice of Sahaji Marg

 

P・ラージャゴパラチャリー


サハジ・マルグの修行方法

 

  これから、サハジ・マルグの修行方法について基本的なことがらの解説をします。最初に修行の仕方を説明し、次に心構えの説明に移ります。

   サハジ・マルグの修行は、次の三つのステップから成り立っています。

 

 @朝の瞑想

 A夕方のクリーニング

 B夜の祈り瞑想

 

@朝の瞑想(Morning Meditation)

 

 瞑想とはひとつのことを思い続ける行為を意味しています。ある目標を定め、そのために最適なひとつのことを選んで瞑想します。私たちの修行は神を見い出し、自分を悟ることが目標ですから、それに関係あるものを選んで瞑想します。

 ところで、サハジ・マルグが目標とするのは「究極の最高の自己」を見い出すことにあります。したがって、瞑想の名所や形式は関係ありません。神の特質や属性にも瞑想できません。また、抽象的なものに瞑想することも多くの人々には難しいとバブジーは考えました。

 

 そこで、私たちのマスターであるバブジー(第二代目マスター、18991983)はある方法を考案しました。それはバブジーが経験したもののうちで、名もなく、形もなく、粗雑なものではない一番繊細なもの、すなわち神聖な神の光(Divine Light)に瞑想する方法です。この点がサハジ・マルグで最も大切なことですので、しっかりと理解してください。サハジ・マルグの瞑想法は自分の心に神聖な光を思い続け瞑想する、ただこれだけなのです。

 

 初めに述べたように、瞑想とはひとつのことを思い続けることです。

 

 では、どのような方法でこれを行うのかを次に説明します。

 まず楽な姿勢で座り、目を閉じます。そして自分の心に神聖な光があると思い続けるのです。サハジ・マルグには、これでなければいけないという特別な座り方(アーサナ)はありません。個人個人の楽な座り方でかまいません。無理な姿勢で座ることは瞑想の妨げになるからです。アーサナとは、あなたが長時間の瞑想にたえるのに適した座り方であると、バタンジャリー師(インドの有名な瞑想の先生)も述べています。

サハジ・マルグでは一時間の座り方は自由ですが、しかし横になってはいけません。なぜなら、リラックスして眠ってしまう恐れがあるからです。瞑想の途中で姿勢を変えてもかまいません。いつも楽な姿勢でいることです。

 

  ここで、無理に心に神聖な光を思い描かないようにしてください。バブジ−が言うように、心に神聖な光があると思うことで充分です。

   さらに、この光を一時間思い続けてください。瞑想時間は一回に一時間と決められており、長すぎても短すぎてもよくありません。もし時間的余裕があれば、最初の瞑想後10分間の休憩をとり、それからさらに一時間の瞑想を続けるということであれば問題ありません。瞑想中に様々な雑念がわいてくるかもしれませんが、それにとらわれずに無視し続けてください。 雑念にとらわれてしまうとその雑念に力を与えてしまい、ますます強まっていく、とバブジーは自分の修行の経験から明らかにしています。

 

 雑念にとらわれることなく無視し続ければ、自然に消滅して行きます。新しく沸き上がってくる雑念も無視し続けてください。バブジーはこの雑念を「招かざる客がやって来たが、いずれは出て行くものという感じで受け止めればよい。」と言っています。これらのことに注意して修行を行っていくと、数カ月で無の状態にたどり着くことも不可能ではありません。

 

 このような雑念は、私たちの内面の因(*サムスカ−ラ)からきています。もし雑念が湧いてきてそれに捕われてしまうと、因をさらに強化して自分の内面へと戻り、根をおろしてしまいます。しかし、雑念にとらわれなければ、内面に蓄積した因がどんどん外に放出され、自然に消滅していくのです。

 

サムスカーラ・・・過去の思いや行為によって心に刻みつけられた印象、

                    およびその結果としていま現れている傾向、習慣。

 このようなプロセスを経て無の状態に到達することができます。しかし、無の状態に到達することが私たちの目標ではありませんから、この点もよく理解してください。

 

以上、朝の瞑想について説明してきましたが、朝の瞑想ではできれば日の出前に行うようにしてください。夜が昼間と出会い(日の出)、昼間が夜と出会う(日没)時が、自然界でいちばん調和のある時間で、この調和ある時に瞑想すれば上達も早く、自分の目的を早く達成させることができます。ただし、時間や場所のことは余り問題ではありません。できればこの時間を選んで瞑想してください。

 

A夕方のクリーニング(Evening Cleaning

 

 次に第二のステップ・・・夕方のクリーニングの説明に入ります。

 一日の仕事をすべて終えた後で、その日のクリーニングを行ってください。私たちは日中の様々なことからたくさんの印象を受けています。仕事を終えたらクリーニングを行って、できるだけその日に受けた印象を取り除くようにします。夕方のクリーニングの目的は、その日の印象を取り除くことです。ずっと過去に受けた印象や人の心の奥深くに潜む印象は、凝り固まっており、ただの印象ではありません。これはマスターかプリセプターが取り除いてくれます。

 

 夕方のクリーニングの方法は、朝の瞑想と同じように楽に座って、その日に受けた印象が、煙か湯気のようになって自分の背中から出ていくとイメージします。この“イメージ”という言葉を誤解しないでください。イメージとは積極的で、自分の意志力を使うことです。クリーニングは自分の意志力を使って、自分が受けた様々な印象を取り除く過程です。しかし、朝の瞑想にはこの意志力は無関係ですから注意してください。クリーニングのプロセスは、特別に意志力の助けを必要とします。

 

B夜の瞑想(Prayer-Meditation

 

 続いて第三のステッップ・・・夜の瞑想の説明をします。これはとても簡単です。

 自分のベッドに10分間楽に座り、祈りの言葉を数回繰り返しつぶやき、その意味について瞑想します。この祈り瞑想は10分ないし20分で終わり、後はそのまま眠りにつきます。これが一日の終わりに行うことです。

 

 ここで、祈りの意味について説明しましょう。

 祈りの言葉は、朝の瞑想の前にまず1回唱えられ、夕方のクリーニングではまったく使われず、そして夜の祈り瞑想の時に数回、心の中でつぶやかれるだけです。これは、他の瞑想でよく使われる“マントラ”とは異なります。他の多くのシステムでは、マントラが一日中繰り返し唱えられていますが、サハジ・マルグの祈りの言葉はそうではありません。

 

 時々次のような質問をする人がいます。「こんな良い祈りの言葉ですから、たくさん唱えても悪くはありませんね?」

 これに対してバブジーは、「良いものでもやりすぎるのはいけません。それを何回も繰り返すことは、心を固めてしまうので良くありません。」と答えています。したがって、祈りの言葉は、朝の瞑想の前に一回唱えるのと、ベッドにつく前に心の中で数回つぶやき、この言葉の意味を考えて瞑想する時にだけ使うということをしっかり頭にいれてください。

 

 さらに祈りの言葉の意味について見てみましょう。

 私たちが祈りの言葉を唱えるのは、神に願望を抱いているからだと、多くの人が理解しているのではないでしょうか。しかし、祈りの言葉を正確に読んで、その意味を十分に考えれば、三つの事実しか言っていないということに気付くはずです。最初はこう言っています。

 

  「おおマスター! あなたは人生の真の目標です。」

   (O. Master! Thou are the real goal of human life.)

 

 私たちはただ事実を言っているだけです。

 この”マスター”という言葉は、神を指しています。バブジーは「本当のマスターは神しかいません」とはっきり書いています。なぜこのように改めて言うのかというと、この祈りの言葉では直接“神様”と言っていないために、どうしてただの人間を神と思うことができるでしょうか、という疑問をもつ人がいるためです。

 

 “マスター”とは、“神の使者”を指しています。ですから、どのような修行者でもまたどのよな宗教・宗派に属する人でも、この祈りの言葉を私達の目標のために使うことができます。この最初の祈りの言葉の真の意味は、「神様!」

あなたは人生の真の目標です。」ということです。これで私たちの目標が何であるのかが、はっきりしたことでしょう。

 二つ目の祈りの言葉は、

 

  「私たちは欲望の奴隷であり、それが私たちの進歩を妨げています」

  (We are yet, but slaves of wishes putting bar to our advancement.)

 

 ここでも、神に私たちの欲望を取り除いてほしいと求めてはいけません。ただ事実を言っているだけです。私たちは自分自身で問題を作っているということを謙虚に認めます。また、私たちの欲望が、私たちの進歩を妨げているということも謙虚に認めます。この祈りの言葉を正しく唱えていれば、欲望を作り出すことはなくなるでしょう。

 三つ目の祈りの言葉は、

 

  「私たちをそのレベルまで高めてくれる神と力はあなただけです。」

  (Thou are the only God and Power to bring us to that stage.

 私たちは、自分の努力だけでは何もできないという事実を認めます。そして、私たちを神の状態にまで引き上げてくれるのは彼(マスター)だけです。しかし、私たちは決して神に助けをもとめているのではないということをもう一度しっかり思い出してください。

 

 以上のように、祈りの言葉は三つあります。一つ目の祈りの言葉は自分の目標を示しており、二つ目で私たちの進歩を妨げているのが欲望であることを認め、三つ目でその目標にたどり着くために神の助けが必要であると言っているのです。

 

 バブジーは「祈りは物乞いです。」とよく言いました。しかし、それは伝統的な祈りの言葉について言ったのであって、私たちのミッションの祈りには、物乞いも、要求も、欲望もおよそ何かを乞うことは一切ありません。

 

 また一部の人から、「なぜ、“おお神様!”と言わないで、“おおマスター!”と言うのですか?最初から“神様”と言うべきではないのでしょうか?」という質問がありました。

 神はその偉大な力で天地を創造し、あらゆるものに、生命を吹き込む役目をはたしました。そして、この宇宙を引き続き統治したのです。また神は、時々その使命を受けたマスターを私たちの前につかわしましたが、私たちもこの宇宙の一員ですから、これに無関係ではいられません。

 

 宇宙には、私たちの計り知ることのできない法則があります。秩序整然たる天体の運行や、生きとし生けるもの全てにこの宇宙の法則がはたらいており、生あるものはやがて老いて、死を迎えるのです。

 

 しかし、人間の霊性は、この宇宙の法則にあてはめることのできない特異性をもっており、無限の可能性を秘めています。したがって、マスターの力により開花するよう自分自身を高めていく必要があります。そのためには、私たちは抵抗することをやめて、マスターに全てを任せることが必要なのです。

 

“10項の金言”

 

 ここから心構えの解説に入ります。どのような心構えをもてば良いのでしょうか?それは、私たちの“10項の金言”(14ページ参照)がはっきり述べています。

 

 まず、基本的に人間らしい心構えをもつようにします。この心構えができていない場合は、これを培うように努力してください。

 この点についてバブジーは、「人間は最初に動物的人間から始まり、次第に本来の人間へと進化し、やがて神の存在となるのです」述べています。

 

 朝の瞑想の恩恵は、自分の精神を統制する修練になることです。私たちは自分の精神の奴隷から、精神のマスターにならなければいけません。瞑想中にある一つのことを自分の心に思い続けることによって、やがて精神を統制する能力がついてきます。精神を使って精神を統制するのです。

 

 この方法が分からない、あるいはそれは不可能だとよく言われます。しかし、私たちは生活のなかで、常日頃から同じことを行っているのです。もしあなたが犬を訓練したいと思えば、あなたはその犬を何遍でも訓練するでしょう。また同じく乗馬をマスターしたいと思ったら、その馬に何回も乗ることでしょう。

 

 現代の教育の考え方では、教育は外から作られると思われていますが、本当は自分の内面から作られてきます。どんなに素晴らしいプログラムがあったとしても、それを実践しなければ意味がありません。この“10項の金言”の場合にも同じことが言えます。10項の価値が分かっても、実践がなければ無意味なのです。

 

 修行者にとって一番目の“金言”が障害になっているようです。これに対してバブジーは、「もし最初の項目ができなくても、残りの項目をあきらめる必要はありません。二番目からでも、または三番目からでも、自分のやりやすい項目から始めてかまいません。」と言っています。10項の順番は、特に重要ではありません。どのような順番で始めようとかまわないのです。どこから初めてどこで終わっても良いのです。階段のように第一段から上がって、次に第二段、第三段というふうに上がっていく必要はありません。大切なことは、どこから始めても、この修練を積極的に行う意志力を鍛えることです。

 

 毎日続ければ、それに比例するように意志力が強化されてきます。私たちの意志力は修練を通して強化されてきますが、逆にやるべきことを怠ると必然的に弱くなってきます。ですから、瞑想で自分の精神を統制することができれば、95パーセントの問題は解決できたと思ってください。サハジ・マルグでは、瞑想そのものは私達の最終目標ではありませんが、大切な一つの過程としてこれを実践します。

 

 ある程度精神を統制できるようになったら、次に心の清めを行う必要があります。なぜなら、私たちのくせや性格は、内面にある因(サムスカーラ)により引き起こされるものだからです。もし因が取り除かなければ、決して自由に精神を統制することはできません。

 心の清めの過程は、私たちの意志力を使って、正しい方法にもとづいて実践されなければなりません。心の清めによって、私たちの現在の行動を引き起こしていた原因が取り除かれます。精神の統制がさらに進んである段階に到達すると、それ以上因が形成されることはなくなります。

 

 上達のためには、瞑想と心の清めを並行して行い、瞑想と心の清めの調和を保つことが大切です。瞑想だけにかたよって清めをやらなければ、瞑想も無駄なものになります。瞑想だけだと、ぬかるみの中をパワーのある車がなかなか思うように進めず、のろのろと走っているようなものです。逆に心の清めだけだと、きれいに鋪装された道路をエンジンの無い車で走ろうとするようなものです。

 

 人間の精神には測り知れない能力がありますが、心の清めによって、自分の進歩の妨害をする因が取り除かれます。

 宗教について振り返ってみても、人々は幾千年の昔から瞑想を続けてきましたが、大した変化は得られませんでした。バブジーはこれに対して次のように述べています。

 「瞑想がどんなに上達しても、もしあなたの因がそのままであれば、それは種としてあなたの内に残り、やがて土壌が整ったとき芽を出し、そして開花してしまいます。」

 

 これが、瞑想で高いレベルまで進んだ人でも、この因の開花によって、一気に低いレベルまで転げ落ちてしまう理由なのです。

 つまり、もしあなたが因をもったまま、今以上にパワフルになれば、その因にも力を与えることになり得るのです。「もしあなたが泥棒にエネルギーを伝導すれば、泥棒は完璧な泥棒になります。」とバブジーは説いています。ですから、私たちの修行法では清めの過程を特に大切にしています。

 

 

常に思い続けること(Constant Remembrance=コンスタント・リメンバランス)

 

 ここでは実践上の問題について説明しましょう。私たちはどう実践したらよいのでしょうか?

 

 まず第一に守るべきことは、修行を毎日規則正しく行うことです。毎朝の瞑想、夕方のクリーニング、夜の祈り瞑想をプリセプターがいてもいなくても、規則正しく行ってください。

 第二に、常に思う(Constant Remembrance=コンスタント・リメンバランス)ように努力してください。毎日規則正しく実践すれば、Constant Remembranceが自然に確立されてきます。これが確立されれば、今までの瞑想の修練はそれほど重要ではないと、マスターは述べています。例えば、顕微鏡で対象物に焦点を合わせて見るのと同じようなものです。瞑想で精神を整え、清めによって余計なゴミを取り除きます。この二つが合わさっても一つになります。

 

   Constant Rememberanceも一つのステップです。それはマスターに愛情を感じる段   階です。バブジーは、「愛する人をいつも思い続けているのと同じように、まず思い続けることから始めるのです。」と言っています。基本的修練を毎日実践し、心の清めができれば、自然にConstant Remembranceの方向に向かいます。ここまで進めば、マスターに愛を感じる段階です。

 

 この段階まで到達できれば、これで私たちの瞑想法の基作りはほぼ終了です。最愛の者が愛する人(修練者)を思い始めるのです。私たちの愛が彼の心の扉をたたき、それに答えるように彼が心を開いてきたら、それで私たちのすべきことは終わりです。今までのすべての修練ーーー精神的・肉体的修練、心構えの変更などは、すべてマスターへの愛を育てるまでの準備でした。このことをよく思い留めておいてください。

 なぜかというと、これまでのヨガや修行法は、愛をポイントにおいていませんでした。その修行方法の基本に愛が欠けていたのです。あなたも自分でよく考察してみれば、過去の多くの霊的な宗教や修行方法によって、一体何が生み出されたかが理解できることでしょう。修行の結果、不可思議な力を身につけることはできましたが、しかし戦争や争いごとは起きてしまいました。彼等は修行によって神に近付き、あれが欲しい、これが欲しいと神に願いましたが、神に愛を捧げることをしなかったので、神から愛を得ることがなかったのです。

 

 バブジーは次のように述べています。

 「もし神様がこの宇宙をそっくりあなたにあげたとしても、神自身がついてきてくれなければ、何の意味もありません。」

 

 宗教の逸話の中には、修行者を堕落させる誘惑的な話がたくさんあります。彼等の欲望を刺激するような甘い言葉をささやき、堕落へと誘い、そして彼等の最高の目的への意欲を奪ってしまうのです。

 

 私たちは次のことに注意しなければなりません。マスターに幸福の贈り物をねだるのではなく、彼自身が欲しいもの  愛を求めることで充分なのです。

 ただの友達の家に行った時には、一本のワインかケーキの一切れをお土産にもらって帰ることはよくあることです。しかし、最愛の人の家からは、ケーキの一切れだけを持って帰ることはしないでしょう。

 

 弟子たちがシャージャハンプルのバブジーの元を去る時に、寂しそうな様子なので、彼は弟子たちに言いました。

 「あなた(の心)をここにおくか、私(の心)を一緒につれて行くかです。」

しかし、そうすることは、なかなか難しいのです。

 

 二人の純粋な愛の関係では、愛する人が自分の最愛の人の側に行くか、最愛の人が愛する者の側に来るか、どちらかです。そうして一つになれるのです。

 

 私たちが毎日用いている祈りの言葉は、とても感銘深いものです。最初の言葉はこう言っています。

  “Thou are the real goal” (あなたが真の目標です)

あなたの力ではなく、あなたの美しさではなく、あなたの豊かさではなく、あなたの宇宙でもない、「あなた(最愛の人)だけが真の目標です。」

 

 最後の祈りの言葉では、もっとはっきり言っています。

「最愛の人のみが彼自身を与えることができます。」

 

 あなたは、だれかに最愛の人を連れて来てもらうことはできません。

 つまり、私たちのミッションの言葉をわかりやすい言葉にするとこうなります。

「私の最愛の人、あなたは私の人生の真の目標です。あなたの力、美しさ、豊かさに対する私の欲望が、あなたと私の間の障害となっています。あなただけが私にあなた自身を与えることができます。」

 ミッションのお祈りはただこれだけです。他には何もありません。

 

 私は、あなたにサハジ・マルグの考え方をお話ししました。

 サハジ・マルグを実践している人は、会う度に表情がいきいきと輝いていくでしょう。そして、マスターに対するさらに深い愛情を感じるようになるでしょう。このことがサハジ・マルグの効果を証明すると思います。

 あなたの進歩を心から願っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


初心者のための瞑想法

 

【朝】

 約一時間、自分の心の中に神聖な光があると思い続け、瞑想します。非常に簡単に自然なままでやること。自分の精神に無理をしないこと。もし光が心に見えなければ、それでもかまいません。心の中に光があると推定するだけでよいのです。そして集中という努力をしないで、自然なままに自分の意識を心におき、同じ姿勢で座り、瞑想します。雑念が出てきても心に留めず無視します。

 

【夕方】

 30分座って自分に暗示します。まず自分の背中から不純物(自分の心をくもらせているもの)が、煙か湯気のようになって出ていくとイメージします。自分の中から取り除きたい不純物をアレコレ選択せずに、軽く取り除くような感じで行います。

 

【夜】

 O. Master!                                    おお、マスター!

 Thou are the real goal of human life.あなたは人生の真の目標です。

 We are yet but slaves of wishes      私達は欲望の奴隷であり、        

 Putting bar to our advancement.     それが私達の進歩を妨げています。

 Thou are the only God and Power  私達をそのレベルまで高めてくれる

 To bring us up to that stage.           神と力はあなただけです。

 

 夜、就寝前にお祈りをします。正しくて意義のあるお祈りの方法は、嘆願的なムードで座り、お祈りの言葉を数回、頭の中でつぶやきます。そしてこの意味を考え続けることに瞑想します。大切なことは、この意味を考えることに没頭することです。


 

サハジ・マルグの“10項の金言”

 

 

1.  日の出前に起床すること。瞑想とお祈りを毎日定刻に行うこと。できれば、

朝日が昇る前、特別な場所とクッションを用意し、楽な姿勢で座ります。特に心と体をきれいにしておくことが大切です。  

 

.瞑想に入る前に自分の心を愛情で満たし、お祈りをします。

 

3.  自分の目的を決めること。それは神と完全に一つになることです。その目標に到達するまで、途中で中断することなく、毎日実践を続けます。

 

4.シンプルでいること。

 

5.   正直でいること。苦しみや悲しみがおそってきても、それを天からの祝福だと思って、感謝の気持ちでそれを受け取ります。

 

6.   人は皆自分の兄弟だと思って、それに恨みを持たないこと。

 

7.  人から侮辱を受けても、それに恨みを持たないこと。天からの贈り物だと

      思って受け取ります。

 

8.   どんな食物であっても幸福な心で受け、清らかな心で食事をとること。生計を立てる時でも、正直で敬虔であることを尊重します。

 

9.   人の心の中に愛と忠誠を目覚めさせるような生き方をすること。

 

10. 就寝前、神の存在を感じながら、清らかな心で自分の過ちを懺悔します。そして、再び同じ過ちを繰り返さないことを神に誓います。

 

               

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キリチ さん 著翻訳される